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釈尊の人間教育学(一話)



仏陀となる道

釈尊 の 人間教育学(一話)



釈尊の人間教育学 に 入る前に、


先ず、「宗教」「神」「自然」とは何か―――について

 

お話ししたいと思います。


宗 教


「宗教」、よく聞き慣れた言葉ですが、

 

私の頭に深く刻み込まれたのは、


中学生(昭和三十年)の社会科の時間に

 

宗教 は アヘンだと教わったときです。


「宗教」という語は、

 

本来 仏教用語ですが、

 

英語のレリジョン(religion)の

 

翻訳によって生まれた言葉だと

 

思っている人も多くおられるようです。

 

 

学者によるとレリジョンの翻訳としては

 

「宗教」は 

正しい訳語ではないといいます。

 

 

それは宗教の語 そのものが

 

仏教の専門語 であり、

 

一方、レリジョンは特に

 

キリスト教に関わる術語だからです。

 

 

宗教 も レリジョン も

 

それぞれの語の源を にしているので

 

意味の上で 

相違があります。

 



宗教 の 意味


では「宗教」とはどんな意味の言葉であろうか。

 

「宗教」という熟語は、

 

古く中国の仏教論書に使われており、

 

華厳宗の第三祖で

華厳教学の大成者法蔵(643712)の『華厳五教章・巻一』などでは

 

に分けて説明されています。

 

 

それによれば、

 

 

言語で表現できない究極の真理

 

つまり極意・要点を意味し、

 

 

 

「宗」に対して

その言語で表現できない 真理を方便として

 

言語で表して

 

人々に伝えるものという意味です。

 

この二つの意味をもつ合成語が

 

宗教であります。 

 


それが明治維新前後、

 

欧米諸国との接触の過程で、

 

近代ヨーロッパ語のレリジョンの訳語に あてられました。

 

そこでレリジョンの語源について 簡単に紹介します。


レリジョンは


レリジョン

 

ラテン語のレリギオ(religare)から

 

派生したものだ といわれています。

 

レリギオはふたたびという意味の接頭語 re と、

 

結びつけるという意味のligareという

 

動詞の組み合わせであり、

 

再び結びつけるという意味で、

 

そこから

 

(*注解①)God) と 人 を再び結びつける

 

ことと理解されています。


*   注解① 神


日本古来の「かんながらのみち」(随神道)の

 

「カミ」(神)とは、

 

人間の知惠でははかりしれない

 

霊妙不可思議な霊力、

 

即ち、自然の理法のことをいう。


レリジョン の 語が


レリジョンの語が

 

最初に翻訳されたのは、

 

安政五年(1858)の「日米修好通商条約」においてであり、

 

訳語には「宗旨」「宗法」の語があてられました。

 

幕末から明治の初頭にかけての間にもちいられた訳語は、

「宗教」、「宗門」、「宗旨」、「宗旨教法」、「法教」、「教門」、

「神道」、「聖道」などが確認できますが、

 

レリジョンの訳語が、

 

今でいう 宗教一般をさす語 として採用され、

 

明治初期に広まったとされています。

 

 

この背景には、

 

明治日本の欧米化の過程で行われた 外交折衝や、

 

当時の特権階級、エリート層、知識人の

 

価値の欧米化 がある とされています。

 

 

そして欧米文化、欧米思想が洪水のように、

 

我が国に流れこんで来たとき

 

レリジョンに対する 

 

造語、または新語を作らず、

 

東洋の古典のなかから深く考えず、

 

仏教用語「宗教」を採用しました。

 


これが私たちをして、

 

東洋思想の中でも

 

最も大切な根本的なものを 忘れ去らせた原因となりました。

 

その結果、

 

「宗教」は 

 

キリスト教 を イメージする用語として受容され、

 

日本人のイメージに 大きな影響を及ぼし、

 

「宗教」の語の意味について

 

日本人の多くの間に 誤解をうみ、

 

日本人の宗教観念の混乱の起因 となっております。


宗教 は アヘン


キリスト教的世界観 の 根底をゆるがす批判を展開した

 

ドイツの哲学者フォイエルバッハ(18041872)は、

 

主著『キリスト教の本質』(船山信一訳 岩波文庫)で

 

「人間が 人間にとって 神であり、

 

神が 人間を造ったのではなく人間が神を造ったのだ」

 

キリスト教の 非人間的本質 をえぐり

 

激しい論駁(ろんぱく)を加え、

 

若き日のマルクス18181883)に 決定的な影響を与えました。


マルクスは、二十五歳の時、

 

論文『ヘーゲル法哲学批判・序説』のなかで、

 

キリスト教は「民衆のアヘンと 批判しました。


アヘン製造所(インド)


マルクスが、

 

人間の正常な感覚を失わせるアヘンという言葉を使った背景には、

 

当時、ヨーロッパで話題になっていた

 

アヘン戦争(18401842)という事情があります。

 

イギリスは 植民地インドで製造したアヘン

 

清国(中国)に密輸。

 

民衆だけでなく 清朝皇族、高官のなかにも常習者がひろがり、

 

廃人となって 死ぬものもでました。

 

清朝は国家存亡の根幹をゆるがす アヘンの輸入を禁止

 

この処置に対してイギリスからしかけた侵略戦争がアヘン戦争です。

 

清国は敗北し、

 

香港の割譲、アモイ・上海などの開港を約し、

 

「南京条約」をイギリスと結ぶ。

 

 

のち同様の不平等条約を 

 

米・仏と結んで 

 

中国半植民地化の端緒となりました。         


イギリス が アヘンを 中国に広めた


GOⅮ(ゴ ッ ド造物主)を 神と訳した誤り


―――ヘボン式ローマ字の創始者、

 

ジェームス・カーディス・ヘボン(アメリカ長老会宣教師)が、

 

『聖書』の日本語への翻訳を行い、

 

明治五年(1872)に刊行したとき、

 

英語のGOD(ゴッド)(キリシタン用語=Deus(デウス)

 

「神」と訳しました。

 

 

それについて

 

翻訳を手伝った日本人や西洋事情通といわれた知識人たちは、

 

なんの疑問も呈しなかった。

 

 

そして

 

GOD(ゴッド)Deus(デウス))が誤訳されたままに今日に至り、

 

その誤訳の度合いが拡大して、

 

日本人の宗教観念、神概念の混乱の起因となっています。

 


「教」の意味


「宗教」の意味について、

 

いま一つ分かりやすい表現で 説明したものを紹介します。

 

・中国・唐代の大珠(だいしゅ)()(かい)禅師の著述『頓悟(とんご)入道(にゅうどう)要門論(ようもんろん)(巻上)に、

 

「説に通じて、宗に通じないというのはどういうことでしょうか」

 

「それは理論と実践とが食い違っているのが、
      説に通じて、宗に通じないということである」

 

 「では宗も通じ 説も通じる とはどういうことでしょうか」

 

 「それは理論と実践とが 食い違いのないことが  宗も説も通じるということである」


ここの「説」
真理について語ることで、

説に通じるとは

 

弁説が優れていることをいいます。

つまり「説」「教」を意味します。

 

はいうまでもなく真理のことです。

 

真理について、いかに上手に説明ができても、

 

それを 日常生活の中で 実践し活かしていかなければ、

 

真理も自分のものとはなりません。

 

 


宗教の「」には

理論と実践という言行の

二つの意味が含まれています。

故に、

 

(さと)りの境地に入るには、

まず「教」を手がかりにして

「宗」つまり「真理」を知る事であります。

「宗」は 理論 と 実践 ということによって、

はじめて 現実のものとして

人の生活にいかされることになります。

 

 


さきに「宗」は言語で表現できないもの、

 

すなわち真理、あるいは仏法のことで、

 

「教」はそれを方便として

 

言語で表現したものと説明しました。

 

そして、先述の『頓悟入道要門論』の問答で教えられたことは、

 

「教」には理論だけではなく

 

実践がなければならない ということであります。


このように「宗教」の語は 仏教用語であり、

その意味内容の上からいえば、

レリジョンの意味とは

かなり異なっていることが

分かっていただけると思います。


したがって、

 

レリジョンの翻訳語として

 

宗教を当てることは

 

本来の意味からいって


 正しい訳語ではありませんが、

我が国では明治十四、五年以降、

宗教という語を

 広く 一般の
教団をも表す言葉として 使用することになりました。

そして誤訳されたままに
 

今日に至り、

その誤訳の度合いが格段と拡大して、

 

日本人の宗教観念の混乱の起因 となっております。


真理 の 発見


では、「宗教」の意味は

 

仏教の仕組みの中では、

 

どのように理解したらよいか。

 

まず、仏教の創始者 釈尊はどんな立場にあるのかというと、

 

釈尊は二十九歳で出家しました。

 

その当時のインドでは、

 

苦行解脱(究極の安らぎ)への道だと

 

信じられていましたので、

 

釈尊も六年間、生命をかけて試みました。


しかし、

苦行が不合理で何の役にも立たない

無益有害なものであることに気付き、

苦行 を 放棄されました。

そして、その近くを流れる尼連禅河で垢づいた体を洗い清め、

村の娘スジャータから供養された乳粥をとって体力を回復されました。

それからピッパラ樹のもとに坐し

「われ正覚しない限りは、この坐を立たじ」

 

という不動の決意を持って 思索精進されました。

 

そのピッパラ樹こそは、

 

後世、呼んで菩提樹と称せられるものであります。

 

そして、釈尊が、その菩提樹のもとにあって

 

宇宙の真理は 縁起(*注解②)という真理 にほかならない」

 

正覚されたのです。 

 


   注解②  縁 起(えんぎ)

 

物事はすべて因・縁・果によって起こるという意。



縁起の真理 は 

釈尊が誕生する以前から存在し、

 

また、釈尊の滅後も厳然として存在しているものであります。

 

釈尊は、

 

それまで誰も発見できなかった この縁起の真理 を発見し、

 これこそ 世の中の 真理 だと宣言されました。

 

そして、

これをほかにして 世界の真理はない 

 

と断言されたのであります。

 

この縁起の真理 「宗」です。

 

そして、今日伝えられる原始仏典「教」です。

その間に釈尊がおられます。

 

縁起の真理(宗)―釈尊―仏典(教)

 

「宗」は 言語を以て指すことはできない。

 

すべてのものは 縁起していると いう真理は、

 

今、言葉で説明しても、

 

それを言い尽くすことは 不可能であります。

 

しかし、それを釈尊は、

 

さまざまな(たと)えや 事例を用いて 説明されました。

 

そして日常生活のなかで

 自らも実践し、

その真理の実際性 を証明されました。

これが「教」であります。 

 


この身も この心も

 

縁によって 成り 立つ

 


次回、『釈尊の人間教育学』(二話)「神」に つづく


自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。

 

下記FB:自然宗佛國寺【仏心】掲載

 

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感謝合掌  住持職:釈 妙円